2016年9月4日日曜日

空椅子に向かって、幼い自分に会いに行く

 
通常のセッションでは認知行動療法を用いて、カウンセリングを行うことが多いけど、、
クライエントさんの状態によっては、『空椅子の技法』という心理療法を使うことが、
時々ある。
 
『空椅子の技法』とは、
自分がまだ未完のまま整理できていない感情や、
子どもの頃のモヤモヤした思いや寂しさ、
言いたいことを言えずにきてしまった相手、
自分の中の対立する考え、体の痛みなどを、
目の前の空の椅子に座らせて話かけることで、
思い切り感情を表に出したり、相対する気持ちや考えを比べたりする技法である。
 
その結果、何かに気づくことも多いのだが・・・。
 
ここのところ、幼少期の自分に会いに行くために『空椅子の技法』を使うことが多く、
どのクライエントさんも上手に時空を遡り、
小さい頃の自分に会うことができている。
 
初めて『空椅子の技法』のことを説明すると、
誰しも懐疑的な表情を浮かべ、
「そんな恥ずかしいことできるかしら」
「人前で泣いたり、いない人に向かって話したり、大丈夫かしら」
みたいな心配を口にする。
 
「駄目なら駄目で気にしないで」と言って、試しにやってみることにすると・・・。
 
意外や、上手に幼い頃に遡ることが出来、
まずは涙が溢れてくる。
 
言葉が上手にでてくる必要なんてない。
演じているような気分がしてしまっては、本当の自分じゃない。
 
その押しとどめようもない涙を流すことこそが大切なのだ。
 
いろいろ我慢するのは体に毒よ。
 
溜めて溜めてストレスでがんじがらめになってしまわないよう、
カウンセリングには『空椅子の技法』なんていう方法もあるのだと、
どこか心の端に留めておいていただけると嬉しいです。

2016年8月22日月曜日

空椅子に座るふたりの少女

 
心理療法のひとつで「空椅子の技法」という技法がある。
 
実際には目の前にいない人、亡くなってしまっている人、
幼い頃の自分、
自分の体の痛み、自分の中で対峙する考えなどを、
空の椅子に座らせ、話すというものだ。
 
本人は目の前にはいないので、そんなことできるのと思われがちだが、
気持ちを集中して、空の椅子と対峙してみると、
不思議とそこに会いたい人が立ち現れる。
 
現れてこないときはその会話はまるで演劇部の練習のように
空々しいものになってしまうが、
うまくスッと意識が溶け込むと、目の前にその人が見えたり感じられたりする。
 
そして、決して言えなかったことを伝えてみたり、
相手の本音を聞いたりすることで、
未完了のものを完結させ、受け入れることが出来るようになる。
 
私の立場はファシリテーターなので、
どんな展開になるのか期待したり、想像したりして臨むことは許されず、
クライエントさんが本当に会いたい人に会えるよう、
ナビゲートするだけだ。
 
そこで、うまく会えていても会えていなくても、無理強いしてはならないので、
自然に会えることを待つ。
 
今日もそうしたクライエントさんが小さな時の自分に会いに行った。
 
するとおもしろいことに同時に4歳と小学校2年生ぐらいのふたりの自分が現れた。
 
一度にふたり、
つまり、過去の自分が、時期の違う形で同時にそこにいるのだ。
 
どちらからでもいいから、大人の自分が話しかけるよう促してみた。
すると話しかけられた小さい方の女の子の気持ちが伝わってきたのか、
みるみる涙が溢れた。
 
幼い頃、ずっと同じ恐怖と悲しみを抱いて暮らしていたせいか、
まるで姉が妹をかばうように、
言葉でうまく説明できない幼子のためにお姉ちゃんが側にいるようだった。
 
空椅子の技法を用いる時には
うまくいったとか、今日は駄目だったとか、思わないようにしているのだが、
今日のケースはこのセッションの不思議を垣間見た思いがした。
 
あえて、理由付けしたり、解釈を加えたりせず、
時折、空の椅子に誰かを座らせて、話してみる。
 
思わぬ言葉が自分の口から飛び出して、
ビックリしたり、何かに気づいたり・・・。
 
そんな「Little SATORI」を空椅子の技法は目指している。
 


2016年7月11日月曜日

『家系図カッター』 著者の心の闇

 
私が好きなテレビ番組のひとつが、土曜の夜10時からEテレでやっている
「スイッチインタビュー」である。

一昨日のゲストは歌手の平井堅と、アートディレクターの増田セバスチャンだった。

増田セバスチャンに関してはよく知らなかったが、
きゃりーぱみゅぱみゅのアートディレクションをした人と聞いて
「そうか」とただちに理解した。

世界に『KAWAII』を発信した、産みの親だ。

原宿に『6%DOKIDOKI』というショップを開いて、
ある種の若い女の子達に圧倒的な支持を得ている人だということも知った。

そのいかにもアートディレクターといった風貌の45歳の男性の生い立ちや
成功までの道筋を事細かに記した自叙伝ともいうべき本が
「家系図カッター」である。

その中で、氏は「自分は生涯、決して子孫を残すつもりはない。
自分を産んだ親のことや家庭環境を考えたら、
その血筋を残すことがあってはならないと考えている」と断じている。


あの華やかで可愛い世界の作り手の向こう側に何があったのか。
凄く興味を引かれ、
私は昨日、テレビで紹介された「家系図カッター」を買いに書店に走った。
そして、一気に最後まで読んだ。

自身も分かっているようだが、彼はアダルトチルドレンである。

ネグレクト(育児放棄)に近い料理を全くしない母親。
秘密裏に離婚届を勝手に出し、できちゃった婚で中国人女性と家をでた父親。
リストカットや服毒自殺未遂をくりかえす妹。

そんな家庭環境の中で、心に傷を負った少年は自分の居場所を求めてさまよう。

リアルに吐かれたその内容が、
原宿のお店やきゃりーぱみゅぱみゅの世界観と離れていればいるほど、
切なく何かを訴えかけてくる。


私の元には「なぜか先のことを考えると心配で心配で・・・。
考えただけでトラウマがよみがえって、声が震えて話せない自分がいる」などと
訴えてくる人がいる。

母親との諍いが絶えず、
何をやっても何を言っても、なぜか悪い結果を招いてしまうという人も。

現実には自分の家族や友達とはうまくやっているのに、
ひょんなことから、幼い時の自分がよみがえるのか。

自分の幼い娘にも
母親から受けたと同じことをしてしまうかもしれない恐怖があるという。

何かをしようとしたときに決まって思い出す母親からの叱責。
見下した視線。

幼い時におびえた感情が堰を切ったように溢れて、涙になってこぼれ落ちる。

様々な様子を見せる彼女達は、皆、心に空虚な穴を抱えている。

増田セバスチャンの場合はその事実を全部、本という形に吐露することで、
クリエイター生活15年の時に、一度、区切りをつけたかったという。

現在は20周年を迎え、ますますメジャーになり、
世界を舞台に自身の世界を発信できるようになり、認められている。

同じような家庭に育った女の子達が、なぜか自分の周りには集まってきてしまうと
氏は本の中で嘆いているのだが、
それはある意味当然のことで、
鋭い嗅覚で彼女達は理解者を探し、癒しを求めている。

どこかで自分と向き合い、
得られなかったものを嘆き、
そんな幼い自分を抱きしめる。

そうした場所を上手に見つけて、自分を解放してあげることが必要なのだ。

空椅子の技法などのカウンセリングにも
そうした効果が認められています。
よかったら、一度、相談にいらしてください。

2016年6月22日水曜日

夫婦の本音とウソ

当カウンセリングルームは女性限定と謳っているので、
基本、男性が見えることはないのだが、
こと夫婦関係の問題で悩んでいる方は別だ。
 
夫婦でいくら話し合っても埒があかないとか、
どんどん迷宮に迷い込んでしまってどうしていいか分からない時など、
思いあまって第三者の意見を聴きたくなるのか、
カウンセラーにアドバイスを求めているのか、
おふたりでいらっしゃることがたまにある。
 
とはいえ、カウンセラーという他人のいる前で、
いきなり、つかみ合いのケンカになったり、
お互いののしりあったりすることにはならない。
 
まずは本音で話すと言うより、相手の心理を考えたり、対面を繕って、
事実だけを話そうとなさる。
 
大きなトラブルがあったケースの場合は、
そのトラブルの経緯は伺うことが出来るのだが、
肝心のそれぞれの心理、しかも本当のところは、
おふたりが一緒のセッションではなかなかでてこないことがほとんどだ。
 
そこで、おひとりずつのセッションをご提案して、
日を改めて、おひとりずつカウンセリングルームに来ていただく。
 
そして、相手のいないところで、
いわゆるぶっちゃけトークをしていただくのだ。
 
夫婦が生活していく上で、まったくウソがない、秘密のないご夫婦が
世の中にどれほどいるだろう。
 
ウソというのは、したことをしていないと言ったりするウソばかりではない。
本心を隠して、フリをするとか、言い回しを変えるというようなことも
ウソと言えばウソになる。
 
そうしたウソは実は必要なのではないかとも思うし、
上手にウソをついてこそ、円滑に夫婦関係が保たれるとも言えるだろう。
 
結構、潔癖すぎる心理は
元他人と一つ屋根の下で暮らすとき、
事を荒立てしまうのだ。
 
人間という感情の動物が、人間関係をうまく営むのは本当に難しいことと
日々感じるが、
その中でも夫婦関係が近くて、重たい関係だからこそ、
一番難しいのではないかと思う今日この頃である。
 
私自身、夫婦関係は難しいと、日々、試行錯誤しているわけだが、
「自分をカウンセリングルームという安心な小部屋でさらけ出してみる」、
すると自分の本心にひょっこり出会えるかもしれない。
 
悩みのド壺にはまったなと感じたら、
カウンセリングルームで吐き出すというのはオススメの一手です。

2016年5月9日月曜日

初めての禅体験

このゴールデンウィークに生まれて初めて禅の1日体験というものをしました。
単に一度経験してみたかったというミーハーな理由でしたが、
なかなか不思議なことが起こり、
意義深いものになりました。
 
場所は鶴見にある大本山総持寺という、永平寺と並ぶ曹洞宗の大きなお寺です。
 
朝9時半に集合して、10時から、まずは写経。
昼食は老師様と一緒に禅の作法に則って精進料理。
午後は老師様の法話と禅堂に籠もっての座禅。
最後は修行僧に案内してもらって、諸堂拝観。
 
こうしたメニューをこなして、夕方4時まで、禅の修行体験を通して自分と向き合います。
 
写経は初めての体験でしたが、
最初は1字書く度に墨をつけ直さないとうまく書けませんし、
第一、筆が安定しないので、ヨロヨロして思うような筆運びで文字が書けないのです。
 
50名の参加者が、あちこちで半紙に透けている下敷きのお手本をめくる音や、
ま後ろの人の咳き込む音が気になり、
なかなか集中できずにいたのですが、
5~6行書いた頃でしょうか、ようやく筆の止めと払いの抑揚が安定し、
いつのまにか肩の力が抜けていることに気づきました。
 
うまく書きたい、間違わずに書きたいという気持ちが先立って
つい体に力が入っていたんですね。
 
お昼の精進料理は、思いの外、豪華で、味付けもだしを利かせた美味しいものでした。
老師様に食べものという命をいただく意味など教えていただきながら、
作法通り、1滴のおつゆさえ残さずいただきました。
 
午後は老師様の法話で禅の考え方についてお話を伺い、
その後はいよいよ禅堂に移動して座禅です。
 
高さ80㎝ぐらいの畳の敷かれた台に上り、
クッションのような丸い座布団をお尻の下に敷いて座禅を組むだけでも、
触れてはいけない板場があったり、足や手の組み方があり大変です。
 
薄暗いお堂の中には大きな文殊様が奉られており、空気は凛と静かに張っています。
座禅が開始されると、更に堂内は暗くなり、
半眼に目を伏せているので、目の前は霞んでしか見えていません。
 
組んだ足の痛みが気になって、これがどのぐらい続くのか、
自分はちゃんと耐えられるのか、心配がよぎります。
 
しかし、しばらくすると、その場に50人もの人が座禅を組んでいて、
修行僧が後ろを見回っているという気配が全く感じられないほど、
心が落ち着き、体も微動だにせず座っている自分に気づきました。
 
座禅を始めて1時間近く経った頃でしょうか、
ふいに昨年暮れに亡くなった友人とおぼしき気配がして、
「私は今度はメキシコ人に生まれるつもりなの。
今は誰のところに生まれようかと両親を捜しているところ。
今回は男性よ」と言うではありませんか。
 
その友人は67才という若さでしたし、
「自分の人生がこんな風になるなんて思っていなかった」と私に言って、
脳腫瘍で何度も手術したり
抗がん剤の副作用で苦しんだことを嘆いていたので、
この世に悔いを残していたのではと案じていたのです。
 
けれど、その声はどこか晴れ晴れとして、もはや、転生の準備に入っていると知って
私はすごくホッとしたのです。
 
単に一度体験したかったというミーハーな私でしたが、
この日、座禅をした意味がわかったような気がしました。
 
昨年末、友人の死を1枚のハガキで報されて以来のもやもやした気持ちが、
すっと晴れていくのを感じました。
 
人は誰しも死に向かって生きています。
 
どんな人にも必ず訪れるのが『死』というものですが、
友人が自分の死を受け入れたことを、魂のメッセージとして受け取り、
私は穏やかな気持ちで座禅を解くことが出来たのです。
 
 


2016年4月18日月曜日

家族との距離

 
人間関係、とりわけ、家族それぞれとの関係を良好に保つのは難しいですよね。
 
例えば、夫と子ども2人という平均的な家族を営んでいるとして、
自分と夫
自分と長男もしくは長女
自分と次男もしくは次女
 
先ず、自分と夫は元はといえば赤の他人。
それがご縁があって夫婦という関係になり、
やがて子どもが生まれるとお父さんとお母さんという別の役割を受け持つ。
 
最初の赤の他人の時の人間関係から
相当、年月と共に変遷を経ることで、お互いの距離もずいぶん変わります。
 
一方、子どもは特に女性は自分の体から出てきたせいか、
時に一心同体のように近い距離で接しているお母さんをよくみます。
 
もちろん、我が子は可愛いですし、大切ですし、心配ですし・・・と
夫との間では考えられないぐらい濃密な感情を抱きがちですが、
あんがい、そこに起因する悩みを抱えることにもなります。
 
つまり、あまりに我が身のように可愛がったり、
我が事のように心配することから、
距離を保てなくなって、相手をつぶしてしまいかねないという状況になるのです。
 
我が子は我が身から産まれても
お母さんの所有物ではありません。
 
一個の別の人格として、生まれ落ちた瞬間から生きているのです。
 
親としての義務と責任は
その子が自立出来る日まで、側で支えたり、援助したりすることで、
距離を誤った、度を越えた愛情は愛情ではないかもしれません。
 
自分、夫、最初の子ども、2番目の子ども。
 
それぞれ個として生きているけど、
家族として支え合い、求め合い、
ひとつ屋根の下に住まいしているのです。
 
それぞれの距離を上手にバランスよくとりながら、
子どもがやがて巣立つ日まで、
時に手を貸しながら、基本、見守る
それが、お母さんになった女性が心がけることではないでしょうか。


2016年4月11日月曜日

涙の意味

 
カウンセリングルームを訪ねてくださった方の2人か3人にひとりは
セッション中に泣き出してしまう。
 
「ここでお話になったことは決して外に漏れることはありませんので、
安心して何でもお話になってみてください」と前振りして、
どんなお話が聞けるか待っているのだが、
言葉の前に涙がほおをつたってしまう。
 
その涙は
ここで何を話してもいいんだという安堵の涙かもしれないし、
話そうとしていることを思い出して悲しみがこみ上げてきているのかもしれない。
または、うまく言葉にできないもどかしさが涙になって
つたっているのかもしれない。
 
いずれにせよ、胸に溜めていた何かが堰を切って、
涙としてこぼれ落ちているのだろう。
 
人はいろいろな思いを抱く感情の動物だ。
 
その感情の喜怒哀楽を表に出して表現できていれば、
それが喜怒哀楽のいずれであっても、気持ちは案外晴れ晴れしているものである。
 
しかし、それを堰き止めて、心に押し込めておかなければならない事情があると、
途端に苦しくなる。
 
ストレスが溜まるとストレス解消のために
美味しいものを食べたり、お酒を飲んだり、
ショッピングをしたりと
人はそれぞれ自分らしい方法でストレス発散を計る。
 
それが上手に出来ている間は
心は何とかバランスを保とうと頑張れる。
 
涙を流すこともひとつのストレス発散法だから、
言葉にうまくできない何かを涙が外に押し出してくれているとも言えるし、
やけ食いみたいに何かを体に取り込む代わりに
涙や叫び声などで、自分の感情を外に追い出しさっぱりするという
効用もある。
 
いずれにせよ、
初めてあったカウンセラーの前で涙を見せるというのは
恥ずかしいと思うかもしれないが、
そんなこと全然気にしなくていい。
 
人間、貯めていいのは貯金と楽しい思い出だけ。
 
辛いことも、悲しいことも、怒りも、悔しさも、不条理も、
溜めると体の中で有毒ガスを出す。
 
ここでは涙は流していいものと割り切って、涙してみると、
不思議に気分は少し晴れてくるし、
のど元に詰まっていた言葉も口から外に出てくれる。
 
ひとりで考え、悩み、溜めていると
体に毒よ。
 
そう涙があなたに教えてくれているのだ。
 
そして、あなたの涙は物言わぬメッセンジャーだけど、
とても多くのものを物語り、
目の前の私にも語りかけている。

2016年2月26日金曜日

守秘義務を守るということ

 
心にずっと長いこと抱え込んできた悩みを
誰に相談したらいいんだろう。
誰かに話して、すっきりしたい。
 
そんな思いを抱えたまま、皆さん、案外長い月日を過ごしています。
 
数週間ぐらいの方もいれば、もっともっと年単位で長いこと
ひとりで悩んでいる方もいます。
 
そして、いよいよ「カウンセリングでも受けてみようかしら」と思い立ってからも
また、けっこうな月日が流れたりします。
 
そんなようやく思い切った思いや悩みを打ち明けてくだっているのに、
それをどこかや誰かに公表するとか、
カンファレンスで実名で話すなんてことは、決してありません。
 
カウンセラーの一番大切な義務は「守秘義務」です。
 
初回のカウンセリングに来て下さるまでに
どれだけの葛藤や逡巡があるか、
私どもは知っています。
 
「よく勇気を出して、カウンセリングルームまで来て下さいましたね」と
そういう気持ちで皆さんをお迎えしています。
 
そして、第一印象の良し悪しは6~7秒できまると言われていますが、
初回のカウンセリングで『ラポール=信頼』が築けるよう、
カウンセラーは全力を傾けて、貴女のお話を伺います。
 
カウンセラーが信頼に値するかきめるのは、クライアントさんです。
どうぞ判断して下さい。
 
カウンセラーは貴女が心の扉を開けて下さったことに敬意を表して、
そっと寄りそい、貴女が新しい1歩を歩み出せるよう応援します。
 
見知らぬカウンセラーと個室でふたりきりになることのハードルは
十分、分かっています。
 
どうぞ、少しの勇気を出して、
コンタクトを取っていただければと思います。


2016年2月23日火曜日

男性のクライアントさんについて

当カウンセリングルームは女性限定とさせてもらっている。
なぜなら、時折、カウンセリング目的ではない男性がいたり、
いたずら電話のようなものがかかってきたりするからだ。
 
そうした方を最初からお断りするために、女性限定となっている。
 
しかし、例外もある。
 
奥さんやパートナーの様子がおかしいけれど、
彼女にはカウンセリングルームに出掛けたり、予約をとる勇気がないときに
つきそいという形でいらっしゃることがある。
 
もしくは、ご夫婦やカップルの問題で悩んでいて、
ふたりで相談にのってほしいというご依頼のこともある。
 
大体、そうした時は最初はおふたりでみえても、
相手がいる前で本音で話すことが出来ず、2回目以降、
バラバラにお話を伺うことになるのだが・・・。
 
だいぶ前になるが、
家から出られないぐらいの鬱々とした状態にある彼女への
男性からの最後のプレゼントだといって、
無理矢理カウンセリングルームに奥さんを送り込んできた男性がいた。
 
その男性には別に新しい女性がいたので、随分酷な話で、
「何が最後のプレゼントよ」と、内心、思ったものだが、
結局、自らが臨んでカウンセリングルームに来ていない彼女に
カウンセラーがいくら寄りそっても、あまり芳しい結果は得られなかった。
 
また、別の事例では、問合せと称して電話で連絡してきて、
電話口で自分の性癖やセックスレスの現状について生々しい話を始めた男性に
慌てて「電話でのご相談は受けていませんので、ホームページから
ご予約なさってください」といって、電話を切ったこともある。
 
結局、その人が予約をしてくることはなかったが、
実際にお目にかかるのは遠慮したい事例だった。
 
そんなわけで男性おひとりのカウンセリングは基本お断りしており、
カウンセリングの流れの中でお目にかかることはあっても、
初回セッションに、単独でカウンセリングをすることはお受けしていない。
 
女性のための女性によるカウンセリングルームということで
どうぞご理解いただきたいのです。
 
 


2016年1月29日金曜日

外在化の効用

 
何回かカウンセリングルームに通っていただき、
『認知行動療法』に基づいて、ストレスの外在化という作業を行うと、
ご自分の今の状態が客観視できるようになってきます。
 
最初にカウンセリングルームにいらしたときは
そのことを考えただけでも沈鬱な気分になって、
「どうしたらいいんだろう」と悩んでいたことが、
まるで他人事のように思えてきます。
 
ある方は、「仕事上で一緒になる男性に対して、
なぜか緊張を感じたり、妙に意識したりして、居心地が悪い。
相手に嫌われているんじゃないか、
自分が何か気に障ることを言ったりしたりしたのではないか」と
悩んでいらっしゃいました。
 
しかし、なぜそう思われるのか詳しく訪ねたり、
何か直接、嫌われたと思うようなことを相手から言われたのか尋ねると
何もないとおっしゃいます。
 
いわゆる「被害妄想」なのか「自意識過剰」なのか、
そのあたりの単語が頭に浮かびましたが、
軽々に悩んでいる方にそうした言い回しは出来ないので、
何かある度に、ご自分の思いや考え、行動などを記録するという
『認知行動療法』のアセスメントシートの記入をお願いしました。
 
そうして、何回かのセッションが行われ、
だいぶラフに、つまり、ぶっちゃけた感じでお話ができるようになってきた頃、
そのセリフはクライアントさんと私の口から同時に出たのです。
 
その時のクライアントさんの訴えも、
「会議中、ある特定の人の顔をじっと見てしまうことがあって、
何かの拍子にこの人に嫌われたんじゃないか、嫌な思いをさせたんじゃないかと
思うんです」ということでした。
 
更に詳しく伺っても、
何か嫌われたと確信できるようなことをいわれたわけではないといいます。
 
「それって、被害妄想かもしれませんね」と私がいった時、
ふたり同時に顔を見合わせ、
「でた!」と
言ってしまったのです。
 
もちろんカウンセリングルームに笑い声が湧き起こりました。
 
これが「ストレスの外在化」によって、
クライアントさんがストレスのしっぽを捕まえた瞬間と言えるでしょう。
 
その後は、そう感じた時、どんな対応をしたらいいのかについて、
少し話し合いがなされ、
クライアントさんは「今度、やってみようと思います」と
今までとはちょっと違う対応をしてみることを決められ、
カウンセリングルームを後になさいました。

まだ、その結果は伺ってはいませんが・・・。
 
『認知行動療法』はこうしていつもの考え方や行動パターンをすこし変化させることで、
気持ちにゆとりを持たせたり、
疑心暗鬼から脱却させることを目指してします。
 
ひとりでできるようになれば、カウンセリングを卒業できるという
自立支援型の心理療法です。
 
「ご自身が気づく」
そのことを応援しているのです。
 
気づいたら、行動!です。
 
カウンセラーはその日まで、ナビゲートします。

2016年1月18日月曜日

ブリーフワーク

 
カウンセリングルームを訪ねてくださるクライアントさんには
ふたつのグループがある。
ひとつは悲しみを抱えている人達、
もうひとつは怒りを抱えている人達だ。
 
悲しみの原因はそれはもう人それぞれで、
母親から愛情を得られなかった積年の悲しみ、
夫や恋人から言われなき言葉の暴力を受けた悔しさのにじむ悲しみ、
中絶によって命を軽んじてしまったことへの後悔の悲しみ、
彼の裏切りを知った時の怒りを含んだ悲しみなど、
さまざまだ。
 
そうしたクライアントさん達は
皆、セッションで話している内に自然と涙があふれ出し、
話している半分以上が泣きながらになってしまうことも珍しくない。
 
私は時に思わずもらい泣きしそうになりながらも、
ペンをとる手を止めずに、カルテに書き込みつつ、
クライアントさんの目を見て、そのお話をじっと聴いている。
 
きっと今まで誰にも十分打ち明けたり、相談したりしたことのない
その溜めていた思いが涙と共に溢れ出てきているのだろう。
 
ここでなら話しても大丈夫と感じてか、
涙と共に堰を切ったように言葉も止まらなくなる。
 
こうした出せるだけの涙と思いを言葉にしてだす行為は、
それがブリーフワークといって、悲しみを克服するのにとても大切なのだ。
 
誰かにこの悲しみを聴いて欲しい。
誰かにこの悲しみを分かって欲しい。
 
その先どうしたら少しは楽になれるかは、十分に吐き出した後に考えればいい。
 
何回セッションしても、その話になると涙が溢れている内は、
まだ吐き切れていないと感じるので、
話を止めることなく、私は聴いている。
 
「時間薬」といういい言葉があって、
どんな悲しみも時間が癒してくれるという昔の人の言い伝えだ。
 
いいこと言うなと感心する一方で、
でも誰かに思いの丈をぶつけたり、絞れるだけの涙を絞ってしまえたら、
もっと早く自分の気持ちの整理がつくのになとも思ってしまう。
 
ブリーフワーク=悲しみの作業
 
安心出来る場所と相手にゆだねて、甘えて、
すっきりしてほしいと願っている。


2016年1月7日木曜日

ネット社会のクライアントさん達

 
2015年の年末、2016年の年始となぜか新しいクライアントさんが多く、
何人もの初対面の方とのカウンセリングがあった。
 
それぞれ抱えているお悩みは全く違うのだが、
面白い共通点があった。
 
それはネットでご自分の悩みや症状を検索して、
ご自分を「私、『アダルト・チルドレン』だと思うんです」とか
「『共依存』だと思う」とかというように
心理学の専門用語を使って、まるで病名のように決めてきて下さるのだ。
 
お話をよく聴けば、確かにそうした傾向がある方もいれば、
まったくそうではない方もいるのだが、
いずれにせよ、その専門用語を知っていることと、
ご自分がもしそうなら、カウンセリングで治るなら治したいと思って
連絡をくださっていることにビックリする。
 
以前はいろいろ悩ましいことがあって、
その鬱々とした気持ちを何とかしたい、誰かに話を聴いて欲しい、
だからカウンセリングを受けようと思ったというきっかけの方がほとんどだと
思うのだが、
今のようにネットでいろいろ専門的なことが分かってしまう時代は
そういう点でも違ってきているなと感じるのだ。
 
ご自分を『アダルト・チルドレン』と決めつけ、
「この性格とかって、治りますか?」とか、
「『共依存』傾向がある限り、自立できないのは、単なるわがままですよね」と、
自己分析なさるのは、研究熱心なことだけど、
そんなにご自分で判断して、決めつけないでと申し上げたい。
 
意外や、そうしてご自身で病名のように決めてきて下さっている方が、
決してそうとはいえないことも多く、
かえって悩みを深くしてしまっていることも少なくない。
 
病気を疑ったりしたときに、ネット検索は誰でもすることだけれど、
中身の素人判断は危険だと感じるので、
自分と相性のいいカウンセラーを捜すことにネット検索をご利用いただいて、
このカウンセラーの前でなら、正直になれると思えるかどうかを大切にして
カウンセリングを受けていただきたいと思う。

心理カウンセリングでは薬もでないし、即効性もないので、
風邪かなと思ったら、即、葛根湯!みたいな感じで治ることはないのです。

早ければ3回ぐらい、
長い方は年単位で通っていただいて、徐々に徐々に変化していくもの。

それにはカウンセラーとの信頼関係が何より大切ですし、
相性も重要だと考えています。

2016年1月4日月曜日

初詣に想う

 
 
 
明けましておめでとうございます。
皆様、どのようなお正月をお過ごしでしたか? 
 
私は毎年、おせちをほとんど手作りし、
更に、親族会のために勢い込んでパーティ料理を作るのが常なので、
結果、食べ過ぎて、すこし前まで頑張っていたダイエットも元の木阿弥になる、
そんなお正月でした。
 
もうひとつ、やはり恒例なのが、どこかの神社かお寺に初詣に行くことで、
それがどこに行くかは毎年コロコロ変わるという節操のなさで、
今年は何と、横浜に住んでいながら、千葉の成田山新勝寺まで行って来ました。
 
しかも、今回は朝6時50分上大岡発の初詣バスツアーだったので、
9時半には成田山新勝寺到着、
まだ参拝者が少ない状況でチャチャッとお参りを済ませ、
午後には香取神宮と、茨城県まで足を延ばして鹿島神宮までお参りするという、
弾丸ツアーだったのです。
 
本来、神社ではお願い事はせず、1年の無事を感謝し、
お礼を述べるのが筋なんだそうだが、
そうはいっても3社も廻れば、家族の健康や娘達にいいご縁がありますようになど、
つい神頼みしたくなるものですよね。
 
そして、おみくじをひき、その目が何とでるのか、
1年の運試しをしたくなるのもまた人の常。
 
私の今年最初(1年にせいぜい2回ぐらいしかひかないが・・・)のおみくじは
『吉』
 
吉は大吉の次にいい目だそうだから、なかなか気分がいいものです。
一緒にひいた娘は大吉だったから、もっとウキウキでしょう。
 
何しろ、この娘、
『凶』を引き当てるのが得意技といってもいいぐらい、
おみくじでいい目がでたことがない不運な娘。
 
以前、鎌倉八幡宮で家族4人でおみくじをひいたら、
私とその娘が凶をひき、あわてて、娘だけもう1度ひいたら
また別の凶がでるという恐ろしい事件があったのです。
 
大吉がでたり、吉がでると、とても嬉しいけど、意外とその後は内容も忘れ、
お守りの中に大事にしのばせたきりになったりします。
(大吉や吉がでたら、結ばず、持って帰った方がいいらしい)
 
しかし、『凶』がでたりすると、ちょっとさい先が悪い感じで、かなり凹みます。
 
そのおみくじは、利き手ではない方の手で結んで置いてくるといいらしいのですが、
そんなに器用に結べるはずもなく、
その落ち込んだ気分は案外、後々まで尾を引きます。
 
そんなに気にするなら、
最初からおみくじなんてひかなきゃいいのにと思うのですが、
何となく年の初めの運試しをしたくなるから不思議なものです。
 
 
 
さて、皆様の今年の運試しはいかがでしたか?
 
年の初めは心新たに始めたいもの。
ぐずぐずとくすぶった人間関係や、煮え切らない自分と向き合い、
自分を見つめるのに、年の初めはいい時期かもしれません。
 
『凶』も考えようによっては、それ以上落ちることはない、
あとは上昇するだけとも言えます。
そんな風に自分のことを見つめ、見方を変えられるのは、
ご自分だけなのです。