2016年4月18日月曜日

家族との距離

 
人間関係、とりわけ、家族それぞれとの関係を良好に保つのは難しいですよね。
 
例えば、夫と子ども2人という平均的な家族を営んでいるとして、
自分と夫
自分と長男もしくは長女
自分と次男もしくは次女
 
先ず、自分と夫は元はといえば赤の他人。
それがご縁があって夫婦という関係になり、
やがて子どもが生まれるとお父さんとお母さんという別の役割を受け持つ。
 
最初の赤の他人の時の人間関係から
相当、年月と共に変遷を経ることで、お互いの距離もずいぶん変わります。
 
一方、子どもは特に女性は自分の体から出てきたせいか、
時に一心同体のように近い距離で接しているお母さんをよくみます。
 
もちろん、我が子は可愛いですし、大切ですし、心配ですし・・・と
夫との間では考えられないぐらい濃密な感情を抱きがちですが、
あんがい、そこに起因する悩みを抱えることにもなります。
 
つまり、あまりに我が身のように可愛がったり、
我が事のように心配することから、
距離を保てなくなって、相手をつぶしてしまいかねないという状況になるのです。
 
我が子は我が身から産まれても
お母さんの所有物ではありません。
 
一個の別の人格として、生まれ落ちた瞬間から生きているのです。
 
親としての義務と責任は
その子が自立出来る日まで、側で支えたり、援助したりすることで、
距離を誤った、度を越えた愛情は愛情ではないかもしれません。
 
自分、夫、最初の子ども、2番目の子ども。
 
それぞれ個として生きているけど、
家族として支え合い、求め合い、
ひとつ屋根の下に住まいしているのです。
 
それぞれの距離を上手にバランスよくとりながら、
子どもがやがて巣立つ日まで、
時に手を貸しながら、基本、見守る
それが、お母さんになった女性が心がけることではないでしょうか。


2016年4月11日月曜日

涙の意味

 
カウンセリングルームを訪ねてくださった方の2人か3人にひとりは
セッション中に泣き出してしまう。
 
「ここでお話になったことは決して外に漏れることはありませんので、
安心して何でもお話になってみてください」と前振りして、
どんなお話が聞けるか待っているのだが、
言葉の前に涙がほおをつたってしまう。
 
その涙は
ここで何を話してもいいんだという安堵の涙かもしれないし、
話そうとしていることを思い出して悲しみがこみ上げてきているのかもしれない。
または、うまく言葉にできないもどかしさが涙になって
つたっているのかもしれない。
 
いずれにせよ、胸に溜めていた何かが堰を切って、
涙としてこぼれ落ちているのだろう。
 
人はいろいろな思いを抱く感情の動物だ。
 
その感情の喜怒哀楽を表に出して表現できていれば、
それが喜怒哀楽のいずれであっても、気持ちは案外晴れ晴れしているものである。
 
しかし、それを堰き止めて、心に押し込めておかなければならない事情があると、
途端に苦しくなる。
 
ストレスが溜まるとストレス解消のために
美味しいものを食べたり、お酒を飲んだり、
ショッピングをしたりと
人はそれぞれ自分らしい方法でストレス発散を計る。
 
それが上手に出来ている間は
心は何とかバランスを保とうと頑張れる。
 
涙を流すこともひとつのストレス発散法だから、
言葉にうまくできない何かを涙が外に押し出してくれているとも言えるし、
やけ食いみたいに何かを体に取り込む代わりに
涙や叫び声などで、自分の感情を外に追い出しさっぱりするという
効用もある。
 
いずれにせよ、
初めてあったカウンセラーの前で涙を見せるというのは
恥ずかしいと思うかもしれないが、
そんなこと全然気にしなくていい。
 
人間、貯めていいのは貯金と楽しい思い出だけ。
 
辛いことも、悲しいことも、怒りも、悔しさも、不条理も、
溜めると体の中で有毒ガスを出す。
 
ここでは涙は流していいものと割り切って、涙してみると、
不思議に気分は少し晴れてくるし、
のど元に詰まっていた言葉も口から外に出てくれる。
 
ひとりで考え、悩み、溜めていると
体に毒よ。
 
そう涙があなたに教えてくれているのだ。
 
そして、あなたの涙は物言わぬメッセンジャーだけど、
とても多くのものを物語り、
目の前の私にも語りかけている。