2015年12月20日日曜日

「重要な他者」として

「結婚を前提におつきあいしている彼の心理がよく分からなくて、
なかなか結婚に踏み切れない」
そんなご相談はあんがい多い。
 
「もう自分がどうしたいのか分かりません」と女性がおっしゃるから、
「それが分かるのはご自身だけよ」と申し上げて、
問題解決に乗り出すわけだが・・・。
 
対人関係がうまくいかない時、
それがご自身にとっての「重要な他者」である場合、
対人関係療法という心理療法を用いて、
その解決に向けカウンセリングを行うことになる。
 
「重要な他者」というのは、その人にとって、その人との関係が非常に重要で
関係の良し悪しが生活のクオリティを左右する関係性の人を指している。
 
例えば、「父親」「母親」「兄弟」「夫」「妻」などがこれに当たる。
 
「結婚を前提におつきあいしている恋人」というのは
今まで「父親」や「母親」がもっとも「重要な他者」だった人にとって、
その人を受け入れた段階で、第一の「重要な他者」になるという
キーパーソンだ。
 
うまくその移行が行われないと、
いつまでも親離れ出来なかったり、
その人との信頼関係が結べなかったりする。
 
お互いに「結婚」というものにどんな役割を求めていて、
何を相手に期待しているのか、
見切り発車で結婚してしまうと大変なストレスになることがある。
 
夫になり、妻になったとはいえ、
所詮「他人」なのであるから、そのあたりのすり合わせをしっかりしないと
大きな後悔をすることになる。
 
しかし、現実問題として、その見極めのコミュニケーションはとても難しい。
 
あまりぶっちゃけ過ぎて、破談になるのは怖いし、
やっぱり遠慮があって、突っ込んで訊くことにためらいがあるなど、
案外、うやむやのまま、勝手な理解で結婚に突き進んでしまうこともある。
 
ものの考え方、ものの価値観など、
何十年もかかって培ってきたものは、お互いなかなか変えられるものではない。
 
それでも「重要な他者」の筆頭にすべき人物かどうか、
慎重かつ真剣に、勇気をもって検討すべきなのが
結婚を前提におつきあいしている男女ではないだろうか。
 
「とりあえず結婚」してみるというほど、簡単じゃないのが結婚なので、
世間の目や親兄弟の意見などに惑わされず、
冷静かつ正直に答えを出して欲しいものだ。

2015年12月14日月曜日

年の瀬にカウンセリングの心理

 
今年の12月は気温が22~23℃にもなったり、
急に冷え込んだり、おかしなことになっている。
 
それでも、あと1ヶ月で2015年が終わるという何となく気ぜわしい感じは
例年と同じで、
あちこちで「1年が早くて~」と挨拶するのが恒例になっている。
 
そんな12月はなぜか初めてカウンセリングを受けにやってくる方が増える。
 
大方、人間関係のお悩みを抱えていて、
自分ではどうしようもなくなって、
ネット検索でホームページを見たりして連絡をくださる。
 
その人間関係は何も昨日今日始まったわけでもなく、
相当前からこじれていたりするのに、
なぜ今?
 
それは2015年が終わってしまう前に決着をつけたい
新しい年はすっきりした気分で迎えたい
 
きっとそんな気持ちの表れではないかと感じている。
 
人の悩みは大体人間関係に端を発していることが多い。
でも、人間関係がこじれていると思っていたけど、
話してみたら、自分の中で何かがこじれているということに気がつく。
 
自分で自分の中に分け入って、傷口を見るのは怖いから
1日延ばしにして12月になってしまった。
本当は自分の問題に向き合わなくちゃと薄々気づいているけど、
気づかないふりをしてきてしまった。
 
そんな女性達が勇気を出して、たずねて来てくれている。
 
正直いって、年内に解決できるという保証は何もないけど、
カウンセリングを受けようと勇気を出した貴女は
新しい年に新しい扉をあけることが出来るだろう。
 
堂々巡りの負のスパイラルから抜け出すこと。
 
それが自分へのクリスマスプレゼントになりますよう、
お祈りしています。


2015年11月26日木曜日

非定型うつの講義を聴いて

 
時折、最寄り駅の講義室で、救助職向けの講座が開かれ、
興味のある内容の時は聴きに行くことにしている。
 
今回は『非定型うつ病』というタイトルだったので、
最近よく言われる『新型うつ』と何が違うのか知りたくて、聴きに行った。
 
うつとはうつという症状とうつ病とに分別され、
うつ病にもメランコリア型と非定型うつ病とに別れるということがわかった。
 
それぞれどんな特徴があって、何が決定的に違い、
何が似通っているのか、詳しい説明がなされた。
 
聴きに行っていた人のほとんどが混同していた『新型うつ』というのは
決して非定型うつ病のことではなく、
主に職場不適応かた生まれた新しい概念で、
医学的疾患ではないということだ。
 
その特徴や解決法などまでは、
2時間の講義ではとても手が回らないのはもっともなのだが、
相当難解な講義内容の上に、
肝心の解決法には触れられないまま、
何だか未消化な気分で外に出た。
 
日中、異様なまでに温かかったのに、
夜9時、外は冷たい雨が降っていて、
昼間とは10℃ほども違うのではと思うほど、冷えていた。
 
こんなに急に秋から冬に移行してしまっては
体が追いつかずに、風邪をひいてしまいそうだと思いながら家路を急いだ。
 
カウンセリングはおひとりおひとりの人生に真摯に向き合って、
クライアントさんが新しい道を歩み出すお手伝いをする職業。
 
でも、昨日までさわやかで比較的温かな秋だったのに、
手のひらを返したように真冬の寒さになったのでは、
ついていけずに心まで凍えてしまいそうだ。
 
人生にはそんな急転直下の悲しい出来事もあったりする。
 
いつどんなきっかけで人はうつ状態にならないとも限らない。
 
それは救助職の私達だって同じだ。
 
どんな苦しさ・辛さに柔軟に対応できるような心と体を
持っていたいものだ。

一夜明けた今日もとにかく寒い。
朝から降っている雨も小やみになったり強くなったりしながら降り続いている。
 
こんな時は、急な寒さも受け止めるしなやかな心と体のために
美味しいものと食べるのが一番だ。
 
今夜はお豆腐と鱈でたらちり鍋を作り、
体の芯から温めよう。

体が寒い時も、心が寒い時も温めるのが一番なのだから。

2015年11月22日日曜日

小さな幸せの見つけ方

 
 
 
今年の秋は妙に温かい日が多い。
例年ならとっくにブーツを履いたり、皮のジャケットを着たりして出掛ける頃なのに
皮ジャケを着てしまうと汗ばんでしまう。
 
それでいて、朝晩はめっきり冷え込んできているから、
何を着ていけばいいのか迷うこともある。
 
先週は雨との相談もあったので、
折りたたみ傘をもつか、もたなくても大丈夫かのせめぎ合いにもなった。
 
土曜日の朝もまだ路面は濡れていて、
雨は上がりそうな気配だけど、
日中の寒さはどのぐらいだろう?と着るものに困るような天気だった。
 
お昼頃、陶芸工房にでかけるため家を出た。
雨はすっかり上がっていて、道路も乾いていた。
温かそうなので、薄いニットにデニムのジャケットを羽織っていくことに。
 
ちょうど太陽が真上にあって、日差しが温かい。
ふと、そらを見あげるとどうだろう。
雨上がりの秋の空はすーっと透き通って、どこまでも突き抜けるように青かった。
 
そこにうろこ雲が、大きな刷毛で、絵に描いたように一面広がっている。
空の青と雲の白のコントラストのなんと美しいこと。
 
カメラのアングルに電線があんまり入らないよう、
何枚もシャッターを切りながら、階段を下りていくと
小学校に出る。
 
そこには赤く葉が色づいた桜の木が何本も並んでおり、
大きな柿の実がたわわになっている柿の木もある。
 
柿のオレンジと青い空のコントラストもまた、秋の風情満点だ。
 
そんな風景にひとり心躍らせるとき、ふと思う。
 
こんな小さな秋を見つけて、小さな幸せを感じること。
それが生きることの歓びなんじゃないかなと。
 
人間、そんなに幸せなことって、毎日は起こらないし、
感動的な出来事も、嬉しい出来事もないだろう。
 
むしろ、凹むこと、嫌なことの方が多いかもしれない。
 
でも、そんな時、平板な日常の中の小さな出来事に幸せを見つけられたら、
その人は幸せな人生を歩んでいるんだと思うのです。
 
何ごともスルーしないで、小さなステキを見つけられる余裕と感性を磨いて、
幸せのかけらをたくさん集めてほっこりしてみませんか。

2015年11月16日月曜日

どうするモラハラな上司

 
世の中、会社の人間関係に悩んでいる方はとても多くて、
とりわけ、直属の上司の言動が耐えられないといったお悩みはよく聴く。
 
上司と部下をいう上下関係にある時、
上位に立っている人間が陥りがちなパターンにはいくつかあって、
いずれも地位を笠に着て、相手を威圧するという言動をする。
 
「誰に向かって言ってんだ!」とか「若造のくせに生意気言うな」みたいに
自分が上司であることを振りかざすのが
パワーハラスメント、いわゆるパワハラ。
 
「こんなことも出来ないなんて、人間としてありえない」とか
「そんなイージーミスをするなら、もう○○なんて辞めちまえ」みたいに
ミスそのものだけを叱責するのではなく、人格を否定するような暴言を吐き、
言葉の暴力で相手を傷つけるのが
モラルハラスメント、いわゆるモラハラ。
 
「だから女は駄目なんだ」とか
「女性は仕事仕事なんて言ってないで、早く結婚した方がいいよ」みたいに
男尊女卑が根本的にあるなと思わせる女性蔑視的発言をする
セクシャルハラスメント、いわゆるセクハラ。
 
他にも今話題のマタニティハラスメント、いわゆるマタハラなどもある。
 
そうしたいずれのハラスメントも直接殴られたり、蹴られたりするわけではないが、
言葉の暴力で相手をおとしめたり、追い詰めたりして優位に立とうとする。
 
その言葉を吐いた当の本人には自覚症状がないことが多く、
相手が傷ついているかもしれないなどということにも
思いが至らない人がほとんどなのが、この人間関係に救いがない点だ。
 
人は高級車を運転したり、トラックを運転したりして、
人より優位に立っている、上から人を見下ろしていると思った時に
人格が変わったように、急に乱暴な運転になったり、
割り込み運転をしたりするのも、同じ心理と言える。
 
自分の人間的価値が上がったわけでもないのに錯覚するのである。
 
上司という立場も同様、
自分より更に上位の人、もしくは横並びの人と接するときとは
明らかに違う心理になって、組み敷こうとする人は
人間的には幼稚な人、子どもっぽい人と言える。
 
そこを理解した上で
そういう上司とどう向き合うか。
 
方法はいくつかあると思うが、
どうするかを選択するのはご自分自身だし、個々に違うのは言うまでもない。
 
一言言えるのは
そんな輩に自分がつぶされないよう、
どう我が身を守るのか、
その目的をかなえるために、自分に合った対処法はどういものか
それをカウンセリングなどの助言やアドバイスを活用してもいいから
とにかく自分で導き出し、実行することが大切だ。

2015年11月10日火曜日

アセスメントシートで外在化

 
認知行動療法のセッションでは、3~4回目のセッションから
写真のような「アセスメントシート」を使って
ご自身のストレスフルな体験の分析を行っています。
 
人が何かストレスのかかる嫌な体験をしても
それをただ嫌だったとか、腹が立ったとかといって流してしまうと
自分が何に嫌な思いをしたのか、
その時、どんな気持ちが湧き上がってきたのか、つかみ損ねてしまいます。
 
それを客観的に見ているもうひとりの自分を上手に育てて、
瞬時に思い浮かんだ言葉や気持ちを生の声にして残すこと、
その時取った行動は?
その時の気分や感情は?
肉体に何か反応は出たの?
という4項目を洗い出すことで、
自分がもっとよく見えてくるはず。
 
時間が経ってから
「あの時、むかついたなぁ・・・」なんてぼんやり思い出しても
もう遅いのです。
 
どんな言葉でむかついたのか、
頭に血が上るような感覚があったとか、
胃がキリキリ痛むような感じだったとか、
悲しみがこみ上げ涙がでてきちゃったとか、
何も言わずにその場を立ち去ったとか・・・
リアルな自分をつかまえなきゃ。
 
案外、女性でも汚い言葉がついて出てきたり(言ってはいないけど)
思わず舌打ちしたり、
側にあるものを蹴っ飛ばしたりしていませんか?
 
私なんか、時々爆発すると
「今、人格変わったかも」なんて、自分で思っちゃいます。
 
でも、人間なんてそんなものですよ。
 
それを見て見ぬ振りしたり、
なかったことにしたりして、
中に閉じ込めてしまったり、無視するのが、一番体に毒です。
 
それを吐き出して、
自分のいつもの考え方や行動のパターンに気づいて、
何か少し変えてみる。
 
もう少し楽に呼吸できる方法が見つかるかもしれませんよ。

2015年10月29日木曜日

相手に自分の意見が言えない悩み

 
最近、カウンセリングルームで同じようなお悩みを聴くことが多いのです。
それは「相手に言いたいことが言えず、黙ってしまう」というお悩みです。
 
相手は会社の上司だったり、一緒のチームで働いていたり、
子どもの参加しているサークルのお母さんだったり、
自分の活動しているサークルのメンバーだったり。
 
つまり、自分より年上とか、目上であるといった
上下関係のある相手に限らないのです。
 
そんなに遠慮しなくてもいいはずの相手にでも
何か言われたことに対して、反論や別の意見があっても
我慢してしまうのです。
 
我慢するだけではなく、
その場にいることを回避しようとさえしてしまうというお悩みを聴くと
それはさぞストレスだろうなと思ってしまいます。
 
自分が気に入っている場所、仕事、大切にしている活動など、
その場を去るつもりがないのに、
たったひとりの人の言動が居心地悪くて逃げ出したいとしたら、、
それはもったいないことです。
 
案外、相手は何の悪気もなかったりするかもしれませんし、
貴女の被害妄想、もしくは自意識過剰、
もしくは思い過ごしかもしれません。
 
その場から撤退する前に、どのタイミングで自分は嫌だと思ったのか
自分の意見が言い出せなかったのか、
ちょっと分析してみませんか。
 
少し客観的に見られる自分を育てることで、
気づきが生まれ、
苦手な人とのコミュニケーションが円滑になるのではないでしょうか。

2015年10月24日土曜日

串間保の即興劇

 
 
 
 
今日はカウンセリングはお休みだったので、
友人の版画家ウチダヨシエさんの個展を観に行った。
 
今日だけ夕方に串田保さんという役者さんを呼んで
展覧会場で即興劇をするというので、
面白そうなので、その時間めがけて会場に。
 
小さな展覧会場に15~16名ぐらいのお客さんが
そのパフォーマンス目当てに集まってきた。
 
ひとり増えふたり増えするお客さんに少し話しかけながら、
どうやら即興劇の間にだれをいじろうか、どういじろうか考えているらしい。
 
もっといえば、即興劇だから、家で練習してきたひとり芝居のネタを
その場にいる人を巻き込みながら、別の物語にしてしまうこともあるらしい。
 
にこやかに談笑していた串間保は
5時5分になると、急にタクトを振るようなしぐさをして、
深い呼吸で場の空気を一変させた。
 
そして、そこから生まれ故郷の宮崎県の山奥の村に私達観客をいざなうと、
森の木と美しい青い空だけはあるが、
他に何もない、お金もない、電気も通っていない村の物語がはじまった。
 
途中、木挽き歌ともう2曲、農作業をするときの民謡を朗々と歌い上げ、
人の幸福とはどこにあるのかという大きなテーマを内包するひとり芝居が
行われた。
 
観客として会場にいた人は皆、その突然のパフォーマンスに
半ばあっけにとられ、半ば珍しい空間にほうりこまれた居心地の悪い顔で
そこに座っているように見えた。
 
時々、串間保に質問されたり、話しかけられるものだから、
次は自分だったら嫌だなという苦手意識があるのかもしれない。
 
初対面の人にいきなり何かを尋ねられ、
気の利いたことがいえないかもしれないという不安、
狙いと違った返答をしやしないかという恐怖があるようで、
何か話しかけられそうになると、お客さんは串間保と目を合わさないようにしたり
うつむいたりする。
 
日本人はこうした場を盛り上げようとか、楽しもうという文化が
あまり発達していないなと感じた。
 
私のカウンセリングルームにくる方たちも
この手のことが苦手な人は多い。
 
対人恐怖とまでいかなくても、
初対面の人と上手にコミュニケーションを取るとか、
コミュニケーションを楽しむのは難しい。
 
そんなことを感じた即興劇のひとときでした。

2015年10月23日金曜日

新しいサービス始まります!

 
キミィ・メンタル・サプリの萩原季満野です。
このブログが開店休業になっており、
お恥ずかしい限りですが、
この度、新しいカウンセリングサービスと提携いたしましたので、
ご報告いたします。
 
 
その名を『ボイスマルシェ』といいまして、
いつでもどこでも無記名で電話相談できるというサービスなのです。
 
通常のカウンセリングはお電話なりメールでお申し込みいただいてから、
京急線の上大岡駅すぐのところにあるカウンセリングルームに来ていただき、
直接お目にかかってのカウンセリングになります。
 
けれど、急に思い立って、カウンセリングを受けてみたい時とか、
名前や顔を知られたくない、でも誰かに話を聴いて欲しい時も
ありますよね。
 
そんな時、ご利用なさってみてはいかがですか?
 
詳しくはホームページのURLをお知らせいたしますので、
どうぞご覧下さい。

わたくし萩原季満野がカウンセラーの一員として登録されるのは
11月1日よりになります。
お耳にかかって、ご相談できることをお待ちしております。
よろしくお願いいたします。
 
『ボイスマルシェ』