2016年8月22日月曜日

空椅子に座るふたりの少女

 
心理療法のひとつで「空椅子の技法」という技法がある。
 
実際には目の前にいない人、亡くなってしまっている人、
幼い頃の自分、
自分の体の痛み、自分の中で対峙する考えなどを、
空の椅子に座らせ、話すというものだ。
 
本人は目の前にはいないので、そんなことできるのと思われがちだが、
気持ちを集中して、空の椅子と対峙してみると、
不思議とそこに会いたい人が立ち現れる。
 
現れてこないときはその会話はまるで演劇部の練習のように
空々しいものになってしまうが、
うまくスッと意識が溶け込むと、目の前にその人が見えたり感じられたりする。
 
そして、決して言えなかったことを伝えてみたり、
相手の本音を聞いたりすることで、
未完了のものを完結させ、受け入れることが出来るようになる。
 
私の立場はファシリテーターなので、
どんな展開になるのか期待したり、想像したりして臨むことは許されず、
クライエントさんが本当に会いたい人に会えるよう、
ナビゲートするだけだ。
 
そこで、うまく会えていても会えていなくても、無理強いしてはならないので、
自然に会えることを待つ。
 
今日もそうしたクライエントさんが小さな時の自分に会いに行った。
 
するとおもしろいことに同時に4歳と小学校2年生ぐらいのふたりの自分が現れた。
 
一度にふたり、
つまり、過去の自分が、時期の違う形で同時にそこにいるのだ。
 
どちらからでもいいから、大人の自分が話しかけるよう促してみた。
すると話しかけられた小さい方の女の子の気持ちが伝わってきたのか、
みるみる涙が溢れた。
 
幼い頃、ずっと同じ恐怖と悲しみを抱いて暮らしていたせいか、
まるで姉が妹をかばうように、
言葉でうまく説明できない幼子のためにお姉ちゃんが側にいるようだった。
 
空椅子の技法を用いる時には
うまくいったとか、今日は駄目だったとか、思わないようにしているのだが、
今日のケースはこのセッションの不思議を垣間見た思いがした。
 
あえて、理由付けしたり、解釈を加えたりせず、
時折、空の椅子に誰かを座らせて、話してみる。
 
思わぬ言葉が自分の口から飛び出して、
ビックリしたり、何かに気づいたり・・・。
 
そんな「Little SATORI」を空椅子の技法は目指している。